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発掘調査

折戸(O)‐110号窯跡の発掘調査

 O‐110号窯跡は、愛知県日進市折戸町に所在する古代の須恵器焼成窯です。本窯跡は、東海地方における窯業生産の母体となった猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)の中の折戸地区に属しています。折戸地区は、須恵器生産を開始する8世紀から灰釉陶器生産が隆盛する9世紀にかけて数多くの窯が構築され、隣接する黒笹地区・鳴海地区とともに猿投窯の最盛期を支えました。
 調査地点は、すぐ東側のゴルフ場との間に入り込んだ深い谷地形の中に位置し、調査当時は東へ向かって下る道路になっていました。この地点は地表面で須恵器が採集できるため、周知の遺跡として認識されていましたが、道路建設や宅地造成によって地形が大きく改変され、現況から遺跡の範囲や残存状況を窺うことはできませんでした。本窯跡では平成21年度に市道路拡幅工事に伴う試掘調査が、平成23年度には試掘地点の正式な発掘調査(調査面積120㎡)が行われています。当財団が実施した23年度の調査では、須恵器や炭化物を多量に含む灰層が調査区西辺に広がっていること、灰層の下にやはり須恵器を含む遺物包含層が存在し、それが調査区全体に及んでいることが明らかになりました。
  平成29年度の発掘調査は、市道の拡幅工事に伴う二度目の事前調査として実施されました。調査は23年度の調査区に隣接する長さ26m、幅5.5mの範囲(調査面積143㎡)を対象としています。調査の結果、調査区の西半部は道路建設によって削平されていたものの、東半部で灰層と遺物包含層が検出されました。まず炭化物を多量に含んだ黒色の灰層は、長さ約12m、最大幅約1.7mの規模で細長く広がっており、調査区中央部で最大約60cmの厚さがありました。この灰層は、23年度の調査で確認された灰層の続きであり、層中から多数の須恵器や窯道具が出土しました。出土した須恵器は、焼成不良品や熔着資料を多く含むことから、須恵器焼成窯に伴う廃棄物であることは明らかです。但し、この灰層は直下に旧表土とみられる土層が広く認められるため、窯操業時の状態を留めた灰原の純粋な堆積物とは考えられません。おそらく長い年月の間に灰原の堆積物が谷の中へ流れ出て、二次的に堆積したものと考えられます。なおこの灰層は、2回の調査によって長さ約15m、最大幅約2.5mの範囲に帯状に広がっていることが判明しましたが、道路建設によって斜面が削平される前は、より広い範囲に堆積していたと考えられます。一方、灰層の下に堆積した遺物包含層は、厚さが最大1.4mにも達しますが、出土する須恵器や炭化物は微量であるため、こちらも灰原そのものの堆積物とは考えられません。以上のように2回の発掘調査によって、O‐110号窯跡に伴う灰層と遺物包含層が検出されましたが、それらを掘削した後の丘陵斜面の基盤面では人為的な遺構は確認できませんでした。なお灰層の堆積範囲から推測すると、滅失したと思われるO-110号窯跡の窯体と灰原は調査区西側の斜面上方に存在したと考えられます。
 遺物は、灰層内の須恵器を中心にコンテナ13箱分が出土しました。須恵器の器種は、蓋杯・碗・盤・高盤・短頸壺・長頸瓶・双耳瓶・平瓶・浄瓶・甕等があり、これらはO‐10号窯式期後半(8世紀末葉~9世紀初頭)の特徴を備えたものです。この中には全国で二十数例しか出土例のない鳥鈕蓋付平瓶の蓋と把手の破片が含まれており、前者は水鳥の姿(頭部・頸部)が丁寧に造形されています。鳥鈕蓋付平瓶は、同じ日進市のO‐40・84窯跡とI‐45号窯跡でも類品が出土しており、それらは日進市の指定文化財になっています。須恵器以外の遺物としては、少量の窯道具と中世陶器(尾張型山茶碗)が出土しています。窯道具は、須恵器を焼成した際に用いた棒ツク等が、尾張型山茶碗は第6型式(13世紀前葉)の碗がみられます。


折戸(O)-110 号窯跡
遺構完掘時の調査区全景


折戸(O)-110 号窯跡
出土した鳥鈕蓋付平瓶の蓋


折戸(O)-110 号窯跡
灰層の掘削作業風景