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発掘調査

若宮遺跡(3‐83地点)の発掘調査

 若宮遺跡は、愛知環状鉄道山口駅から東側一帯、南は矢田川、北は丘陵裾部に挟まれた、東西約700m、南北約500mに及ぶ広大な遺跡です。矢田川の氾濫等により運ばれた土砂が堆積して平坦な地形が造られた沖積地に立地しており、田や畑が広がっていました。しかし、近年は宅地化が進んでおり、それにともなって確認調査などが増加し、平成24年からは発掘調査も立て続けに行われています。調査地点は、遺跡の東端(3-84地点、3-130地点)と遺跡中央付近(山口町304・305地点)に分けられます。東端では旧河川の川岸を確認して、そこから古墳時代の土器が出土しました。中央付近では竪穴住居が3棟検出され、若宮遺跡で初めて古代の人々が生活していた場所が分かりました。

 3‐83地点は、3‐84地点の東隣りに当たります。集合住宅建設のため、平成29年2月に発掘調査を行いました。調査面積は240㎡です。耕作土を除去すると、その下の面において、古墳時代中期の土器が多く入った落ち込み、2条の並行する溝、等間隔に並ぶピットがみつかりました。溝は、耕作用の水路、ピットは建物の柱と考えられます。この面の下には、古墳時代前期・中期の土器を含む砂の層が堆積していました。調査区の北西側が40cm程度高くなっていることから、この地点が川岸に当たるものと思われます。出土した土器も、残り具合がとても良好でした。このような状況は、3‐84地点と同様です。この区域は、古墳時代前期から中期にかけて、緩やかに川が流れ、それによって細かい砂が徐々に堆積する中で、川岸から土器が廃棄されるという風景が想定できます。それでは、これらの土器を廃棄した人々はどこに住んでいたのか?遺跡中央付近の竪穴住居の人々である可能性はもちろんありますが、もっと近く、本地点の北側の丘陵裾部辺りとみるほうが自然でしょう。ただし、今のところその確証は得られていません。


調査区全景(北から)


落ち込み 遺物出土状況(西から)


出土遺物
甕・小壺・杯蓋・高杯