発掘調査

桂蔵窯跡の発掘調査

 桂蔵窯跡は、瀬戸市の中央部、西茨町地内の丘陵地に所在していて、瀬戸川左岸の標高125m前後の北斜面に立地しています。調査は遺跡の拡がりと残存状況を確認するため、1試掘坑は窯体が残存すると推定される斜面上方の西寄りに、2試掘坑は1試掘坑の斜面下方に、3試掘坑は1試掘坑と2試掘坑のほぼ中間地点の東寄りに、4試掘坑は3試掘坑の上方で1試掘坑の東側にあたる地点の4カ所に試掘坑を設定して実施し、連房式登窯(れんぼうしきのぼりがま)の窯体の一部とこれに伴う平坦面などを発見しました。
 窯体は丘陵の北斜面の上方に構築されていました。窯体の規模や全体の残存状況は試掘坑による調査のため明らかになりませんでしたが、2カ所の試掘坑から連房式登窯の窯体が確認でき、少なくとも4房程度は残存するものと考えられます。3試掘坑では近代の平坦面造成のため窯体の下方が削平されていましたが、狭間や狭間柱の痕跡と右側の壁も残されていて幅3.5mまで確認できました。4試掘坑では床面の一部が大きく攪乱された部分があり、狭間や狭間柱の痕跡と右側の壁とともに天井支柱の基部や下面の床も確認できました。幅3.8m、奥行き1.0mまで確認でき、2面の床面が存在することと狭間には補修の痕跡も残されていることから窯体が改修されていることがわかりました。
平坦面は、窯体の右側に隣接するもののほか、西側からも確認されています。1試掘坑で確認された西側の平坦面では一部で薄く幾重にも重なる白色細砂や焼土層の堆積があり、操業に伴って徐々に嵩上げされた様子が明らかとなりました。窯体下方の3試掘坑北側の平坦面が大規模に盛土されており、窯体が埋没している可能性も考えられます。
 遺物は、製品では陶器の丸碗・景次茶碗・染付碗・広東茶碗・腰錆茶碗・湯呑・型打皿・織部皿・染付皿・小鉢・大皿・灯明皿・短檠・秉燭・掻き立て・火入・練鉢・手焙り・火鉢・瓶掛・風炉・手水鉢があり、窯道具では色見・匣鉢・匣鉢蓋・トチがあり、江戸時代後期の18世紀後葉から19世紀中葉に操業したものと考えられます。
 2試掘坑では近代の平坦面を確認しました。また、3試掘坑では当該期の磁器製品や窯道具があることから、近接地に近代の窯跡が所在する可能性もあります。


1試掘坑完掘状況(北から)


3試掘坑完掘状況(東から)


4試掘坑狭間検出状況(北から)


4試掘坑天井支柱検出状況(南から)