INFORMATION (財団からのお知らせ)
瀬戸のやきもの文明開化~明治・大正の瀬戸の産業と工芸美術~
瀬戸のやきもの文明開化~明治・大正の瀬戸の産業と工芸美術~
明治・大正時代に瀬戸で新たに生み出されたやきものを展示
名 称
瀬戸のやきもの文明開化~明治・大正の瀬戸の産業と工芸美術~
会 場
瀬戸蔵ミュージアム蔵特別展示室
日 程
2012年09月01日(土) ~ 2012年10月28日(日)
時 間
9時~18時(入館は17時30分まで)
料 金
一般/500円
高校生・大学生・65歳以上/300円
中学生以下・障害者手帳をお持ちの方・妊婦の方は無料
年間パスポート
一般/1500円
高校生・大学生・65歳以上/900円
ご案内 1
瀬戸は千年余にわたり連綿とやきものづくりを行ってきました。この瀬戸の長い歴史の中でも大変革としてとらえられる時代として約60年間にわたる明治・大正時代があります。
幕藩体制崩壊後、これまでの保護政策は効力を失い、自由競争へと移行することで日本各地のやきもの産地や窯屋の盛衰が激しくなっていきました。また西洋からの新しい技術や情報が大量に入ってくることとなり、それらに刺激を受けてやきものづくりのすそ野が広がるとともに近代化が進んでいくことになります。大正時代には生産現場での機械化がさらに進み大量生産の時代に突入します。瀬戸ではこの頃に窯屋を創業する者が爆発的に増えていき、その後の繁栄へと続いていきます。
今回の企画展では明治・大正時代に瀬戸でつくられた様々なやきものを展示します。明治初期の牡丹の描かれた染付製品、貿易港で完成品にして輸出した上絵付製品、七宝技法とのコラボ製品、西洋の技術を取り入れた新しい釉薬、現在のファインセラミックスの先駆けともいえる電磁器、石膏型を使った初期ノベルティなど、先人達が進取の気概で生み出し、新しい時代を迎えて文明開化を果たすとともに陶都としての地位をゆるぎないものにしたやきものをぜひご覧ください。
ご案内 2
エピソード1 染付百花繚乱-牡丹-
江戸時代後期に始まった瀬戸の染付磁器は幕末・明治時代になると吉祥を表す牡丹の花が図案の中心に象徴的に描かれるようになりました。
エピソード2 貿易港でのやきものづくり-上絵金彩-
瀬戸などでつくった上絵付用の素地を名古屋、東京、横浜などの貿易港へ運び、そこで上絵付、金彩などを施した完成品を船で海外へ輸出するといった地域間の分業が行われました。
エピソード3 素材のコラボレーション-陶磁胎七宝-
陶磁胎七宝とは陶磁器のボディに七宝焼の装飾を施した作品で、海外輸出を目的として生み出されたものです。実際に製造された期間は明治10年代前後の短い期間でした。
エピソード4 西洋渡来の釉薬-クロム青磁-
鉄の代わりに酸化クロムを呈色剤として使い青磁釉の青緑色を発色させたものです。
エピソード5 新技術への挑戦-結晶釉-
展示作品を制作した高島徳松(二代)は日野厚等と釉薬の研究をし、金結晶の一種である朧焼を開発して多くの博覧会に出品、受賞するなど高い評価を受けています。
エピソード6 秘技薄板づくり
明治時代中期に瀬戸の加藤善治(三代)は厚さ数ミリの磁器製の板をつくる技術を完成させ、当時の博覧会に多数出品・受賞しました。
エピソード7 西洋の生活習慣-衛生陶器-
明治24年に起きた濃尾震災を契機に、木製だった便器が衛生面で優れたやきものでつくられ始めました。明治20年代から30年代にかけては、細密な染付の便器が高級品として市場へ出ていきました。
エピソード8 細密画の極み-銅版転写-
明治20年頃に美濃で再び始められた銅版転写が登場した当初は、付加価値の高い、新しい技術を駆使した製品として手描きでは到底描ききれない細密な描写が行われました。
エピソード9 半陶半磁の新素材-新山-
新山は陶器の素地に磁器質の土を化粧掛けしたもので、一見すると表面が白く仕上がり磁器に見える製品です。
エピソード10 新分野への進出-電磁器-
瀬戸での電磁器づくりは明治6年に瀬戸の窯屋加藤杢左衛門(二代)が工部省電信寮に電信用碍子を納入したのが始まりとなりました。
エピソード11 明治の大ヒット玩具-浮き金魚-
明治36年(1903)に加藤佐太郎によって浮き玩具が発明され、翌年には伊藤銀次郎によって浮き金魚がつくられるようになりました。
エピソード12 やきもの大国への輸出品-陶枕-
陶枕は日清戦争後の明治27・28年頃(1894~1895)に中国向け貿易製品として生産が始まり、広東地方を中心とした亜熱帯アジア地域の花嫁の持参品にもなっていました。
ご案内 3
主な展示品 結晶釉大花瓶(高島徳松)、染付上絵花鳥図花瓶(川本桝吉)、染付草花図向高、花文本業敷瓦など約90点
ご案内 4
【会期中の休館日】9月24日(月)、10月22日(月)
問合せ先
瀬戸蔵ミュージアム
〒489-0813 愛知県瀬戸市蔵所町1-1
℡0561-97-1190 FAX0561-97-1557
メールアドレス
setoguramuse@city.seto.lg.jp
高校生・大学生・65歳以上/300円
中学生以下・障害者手帳をお持ちの方・妊婦の方は無料
年間パスポート
一般/1500円
高校生・大学生・65歳以上/900円
幕藩体制崩壊後、これまでの保護政策は効力を失い、自由競争へと移行することで日本各地のやきもの産地や窯屋の盛衰が激しくなっていきました。また西洋からの新しい技術や情報が大量に入ってくることとなり、それらに刺激を受けてやきものづくりのすそ野が広がるとともに近代化が進んでいくことになります。大正時代には生産現場での機械化がさらに進み大量生産の時代に突入します。瀬戸ではこの頃に窯屋を創業する者が爆発的に増えていき、その後の繁栄へと続いていきます。
今回の企画展では明治・大正時代に瀬戸でつくられた様々なやきものを展示します。明治初期の牡丹の描かれた染付製品、貿易港で完成品にして輸出した上絵付製品、七宝技法とのコラボ製品、西洋の技術を取り入れた新しい釉薬、現在のファインセラミックスの先駆けともいえる電磁器、石膏型を使った初期ノベルティなど、先人達が進取の気概で生み出し、新しい時代を迎えて文明開化を果たすとともに陶都としての地位をゆるぎないものにしたやきものをぜひご覧ください。
江戸時代後期に始まった瀬戸の染付磁器は幕末・明治時代になると吉祥を表す牡丹の花が図案の中心に象徴的に描かれるようになりました。
エピソード2 貿易港でのやきものづくり-上絵金彩-
瀬戸などでつくった上絵付用の素地を名古屋、東京、横浜などの貿易港へ運び、そこで上絵付、金彩などを施した完成品を船で海外へ輸出するといった地域間の分業が行われました。
エピソード3 素材のコラボレーション-陶磁胎七宝-
陶磁胎七宝とは陶磁器のボディに七宝焼の装飾を施した作品で、海外輸出を目的として生み出されたものです。実際に製造された期間は明治10年代前後の短い期間でした。
エピソード4 西洋渡来の釉薬-クロム青磁-
鉄の代わりに酸化クロムを呈色剤として使い青磁釉の青緑色を発色させたものです。
エピソード5 新技術への挑戦-結晶釉-
展示作品を制作した高島徳松(二代)は日野厚等と釉薬の研究をし、金結晶の一種である朧焼を開発して多くの博覧会に出品、受賞するなど高い評価を受けています。
エピソード6 秘技薄板づくり
明治時代中期に瀬戸の加藤善治(三代)は厚さ数ミリの磁器製の板をつくる技術を完成させ、当時の博覧会に多数出品・受賞しました。
エピソード7 西洋の生活習慣-衛生陶器-
明治24年に起きた濃尾震災を契機に、木製だった便器が衛生面で優れたやきものでつくられ始めました。明治20年代から30年代にかけては、細密な染付の便器が高級品として市場へ出ていきました。
エピソード8 細密画の極み-銅版転写-
明治20年頃に美濃で再び始められた銅版転写が登場した当初は、付加価値の高い、新しい技術を駆使した製品として手描きでは到底描ききれない細密な描写が行われました。
エピソード9 半陶半磁の新素材-新山-
新山は陶器の素地に磁器質の土を化粧掛けしたもので、一見すると表面が白く仕上がり磁器に見える製品です。
エピソード10 新分野への進出-電磁器-
瀬戸での電磁器づくりは明治6年に瀬戸の窯屋加藤杢左衛門(二代)が工部省電信寮に電信用碍子を納入したのが始まりとなりました。
エピソード11 明治の大ヒット玩具-浮き金魚-
明治36年(1903)に加藤佐太郎によって浮き玩具が発明され、翌年には伊藤銀次郎によって浮き金魚がつくられるようになりました。
エピソード12 やきもの大国への輸出品-陶枕-
陶枕は日清戦争後の明治27・28年頃(1894~1895)に中国向け貿易製品として生産が始まり、広東地方を中心とした亜熱帯アジア地域の花嫁の持参品にもなっていました。
〒489-0813 愛知県瀬戸市蔵所町1-1
℡0561-97-1190 FAX0561-97-1557