瀬戸市制施工80周年記念
財団法人瀬戸市文化振興財団埋蔵文化財センター企画展
埋蔵文化財センターでは、瀬戸市制施行80周年を記念して、
瀬戸市が誕生した近代という時代にスポットを当てた
企画展 『せともの百年史-中部地方の近代陶磁 瀬戸・美濃窯の近代3-』
を12月5日から開催いたします。
瀬戸市発展の象徴たる「せともの」は、幕末期の磁器生産の開始を契機として、
それまで優勢であった肥前陶磁器を凌駕し、全国を席巻したといわれています。
この一大成長期に当たる近代は、瀬戸の焼き物の歴史を語るうえで、
極めて重要な時代といえます。
本展では、中部地方の近代遺跡から出土した陶磁器を陳列します。
これらは、ほとんどが瀬戸窯や隣の美濃窯で作られた製品で、
瀬戸・美濃窯の周辺地域に住む人々の生活においては、
ほぼ独占的に供給されたことが分かります。
展示では、これらを遺跡ごとに時期を追って並べます。
明治初頭から終戦頃まで、陶磁器の形や絵付けの技法・絵柄などが
どのように変化していったかがご覧いただけます。
本展示の見どころ
1 御蔵会所(おくらかいしょ)遺跡(瀬戸市)は、瀬戸窯の中枢、
現在の瀬戸蔵に位置する遺跡で、幕末期には「御蔵会所」という尾張藩の焼き物統制施設があり、明治期に入ると、警察署・学校・陶磁器館といった公共施設が置かれた。
昭和4年の瀬戸市制施行当時の市役所もここにあった。
調査では、明治初期から昭和初期まで土層の堆積があって、
それぞれの土層から多くの陶磁器が出土しており、時期的な変遷を追えるとともに、明治中期以降の土層から上絵付けを施す前の白磁が大量に出土しており、生産地としての様相もみせている。
2 名古屋城三の丸遺跡(名古屋市)は、2地点を取り上げた。両地点ともに第2次世界大戦の頃の良好な資料である。三の丸は、戦時中には軍部の拠点となっており、名古屋高等・地方・簡易裁判所地点には司令部が、旧国立名古屋病院地点には陸軍病院が置かれていた。出土品の中にも部隊名や病院関連の銘の入った製品が多くみられる。
3 勝川遺跡(春日井市)は、江戸期には名古屋・大曽根から恵那へ抜ける下街道沿いの宿場町(勝川宿)として栄え、明治期に入っても、東春日井郡の郡役所が置かれるなど、政治・経済の拠点的な場所であった。明治10年代・明治20年代・明治30年代・明治末期から大正期の各時期の遺構が確認されており、ひとつの遺跡の中で陶磁器の変遷が追える、最上級の資料である。
4 岐阜市内では複数の遺跡から近代の遺物の出土が確認されている。岐阜城下町遺跡では、江戸期に長良川で獲られた鮎を献上用として鮨に加工する「御鮨所」に当たる地点の資料を使用した。御鮨所の機能が停止した明治初期のものと考えられている。また、岐阜奉行所は明治24年(1891)の濃尾地震、城之内遺跡は昭和9年(1934)の学校移転、加納城跡は昭和20年の岐阜空襲を契機として投棄された遺物群である。
5 松本市内では、松本城二の丸と城下町で好例がある。松本城二の丸跡では、明治11年(1878)より置かれた松本裁判所に隣接する調査地点から、茶碗の中に「松夲裁判所」「松本区裁判所」と印字された茶碗がまとまって出土しており、裁判所庁舎の改築が行われた明治41年を下限とする資料とされる。松本城下町跡は小池町地点の資料を使用した。ここでは、被熱した面とその上に堆積した焼土が確認でき、明治21年1月に起こった大火によるものと考えられている。展示する資料は、この被熱面から出土したものであり、これを下限とする一群といえる。
20名以上の団体は( )内の入館料
中学生以下・65歳以上・妊婦・心身障害者は無料
約460点
2 御蔵会所遺跡(瀬戸市)、名古屋城三の丸遺跡名古屋高等・地方・簡易裁判所地点及び旧国立名古屋病院地点(名古屋市)、
勝川遺跡(春日井市)、岐阜城下町遺跡・岐阜奉行所跡・加納城跡・城之内遺跡(以上岐阜市)、松本城二の丸跡・松本城下町跡小池町地点(以上松本市)
12月8日(火)、1月12日(火) および
年末年始〔12月28日(月)~1月4日(月)〕
財団法人瀬戸市文化振興財団埋蔵文化財センター企画展 関連事業
1 歴史講演会
平成21年12月12日(土)午後1時30分から
会場 瀬戸市文化センター文化交流館31会議室
講師 仲野泰裕氏(愛知県陶磁資料館 副館長)
2 展示説明会 平成21年12月12日(土)午前10時30分から
平成22年1月16日(土)午後1時30分から
担当 岡本直久
会場について :瀬戸市美術館(0561-84-1093)